2016.7
 

 


File number013

1400万年前の車輪の跡が、トルコ共和国の西部アフィヨンに残っているという、興味深い話があります。
この地域は古代から重要な入植地であり、フリギア人は紀元前12世紀から約700年間この地域に住んでいました。

アフィヨンの歴史的フリギア渓谷は、アフィヨンイスハニエ地区の境界内に位置しており、「古代の道」と呼ばれる場所は地質学的構造と興味深い轍で世界の注目を集めています。



歴史的なフリギア渓谷は自然の野外博物館と見なされ、2015年以来ユネスコの世界文化遺産暫定リストにも登録されています。

この地域の「王の道」と呼ばれる轍は、フリギアのゴイヌシュ渓谷にある「古代の道」で、交易路として使用されたと考えられています。
この道は1994年に文化観光省によって登録され、ゴイヌシュ渓谷からアフィヨンカラヒサール-エスキシェヒル高速道路まで続いています。

ロシアの科学者で地質学者のアレクサンダー・コルティピン氏は、フリギア渓谷の車輪跡は1200万年から1400万年前にこの地に住んでいた古代の高度に発達した種族のものである可能性があると述べ、世界のメディアでセンセーションを巻き起こしました。
※アレキサンダー・コルチピン博士は(モスクワ国際インディペンデント大学・自然科学科学研究センター・ディレクター)

2014年5月、コルチピン氏は3人の同僚と、このわだちを視察に訪れ詳細な調査を行いました。

博士によれば、フリギア渓谷の車輪の跡は、現代の車とほぼ同じ長さで、タイヤの幅が 9 インチの乗り物によって作られたものだといいます。
さらに、石に刻まれた跡の深さは小型の荷車に見られる深さを超えており、その乗り物はもっと重かったはずだと主張しています。

車輪の跡は1400万年前の化石で、
跡が残る岩は火山灰が長い時間をかけて固まった火山岩だといいます。

「火山岩の年代測定方法はよく研究されています。地質学者として、私は確かにこの火山岩は1200〜1400万年前のものだと断定します。
当時は泥地だったフリギアの谷で戦車でドライブした”何者か”がいるようです。
それは人類に限りません」

荒れた大地に残されたわだち同士の間隔は常に同じ距離を保ち、それは自動車の強固な車軸によるもので、車軸が地面をこすったような痕も残されています。
馬の足あとが無いため馬が引っ張る戦車でもなく、エンジンを積んだ自動車のように考えられるのです。

しかし、1400万年前というとホモ・サピエンスどころか、初期の類人猿の時代なのです。
そんな太古の昔に、いったい何者が車輪の跡を残したのでしょうか?

人類以前に未知の文明が栄えていたのでしょうか?

フリギア・バレーに残された1400万年前の車輪の跡。
この事実はどう理解すれば良いのでしょうか?

複数の地理的場所で発見されている多くの車輪跡の年代と起源を明らかにするには、多くの研究が必要であることは明らかであり、かつてこの地域を走っていた古い荷車の跡であると単純に述べるのは簡単ですが、さらに調査を進めると、アレクサンダー・コルティピン博士が提唱した未知の古代文明の可能性のある、はるかに複雑で驚くべき説明が明らかになるかもしれません。