2016.11
 

 


File number015

人魚のミイラ

ヨーロッパの伝説に出てくる人魚(マーメイド)は、上半身は美しい女性の姿をしており、下半身は魚のそれで優雅なヒレがついているとされている。
その美しさから、人魚の微笑みは人をたぶらかすと伝えられてきた。

海に囲まれた日本にも、人魚伝説は残っている。
最も古い記録は619年、推古天皇の頃、1匹の人魚が捕らえられ、天皇に披露されたという。
しかし日本に伝わる人魚は、どれも妖怪の類いなのである。

上半身は美しい女性というより、猿とかの獣に近い。

日本では人魚の肉を食べた物は不老不死を得るなど、人魚は多くの日本の神話上の動物と同じく、姿を変化させると伝えられている。

そして日本には妖怪の形をした人魚のミイラが8体現存する。

そのうちの一つ、高野山の麓にある西光寺の学文路苅萱堂の人魚のミイラ。
苅萱堂は浄瑠璃や琵琶歌で知られる平安時代末期の親子悲話「石童丸物語」ゆかりの寺。
石童丸の母・千里ノ前が日頃から傍らに置いて崇拝していたと伝えられる「人魚のミイラ」がこれだ!

日本書紀に、推古天皇27年4月項に、近江国からの報告として「蒲生河に物有り。其の形人の如し」と記載されている。
蒲生川で、人のような形をしたものが捕まえられたという。

それがミイラとなり、近江国出身の千里ノ前に受け継がれ、高野山の麓まで伝わったとされている。

人魚のミイラを納めた木箱のふたには、『日本書紀』と記されている。
現在は「有形民俗文化財」に指定され、科学的分析ができなくなった。

鹿児島県・奄美大島にある奄美アイランドの博物館(原野農芸博物館)に、経文も一緒に安置されている人魚のミイラ。
両手で体を支えながら頭を上げている。
この人魚のミイラをCT解析したところ、精巧にできた人工物ということだった。
歯は真鯛のあごで頭部は竹ヒゴを丸めて十字に組み紙を張ったもの、その頭を持ち上げている首は木材で、4年分の年輪までみえた。
胴体は杉にカサゴ科の魚の皮を被せたものだった。

 CT解析

八戸南部家が所蔵していた人魚のミイラは、本格的に科学調査され青森県八戸市博物館に所蔵されている。

木箱におさめられた双頭の人魚のミイラで、体長は40cm程度。
この人魚のミイラは八戸藩9代藩主南部信順が長年にわたって収集した標本のひとつで、南部家の蔵に保管されていた。

国立科学博物館による分析の結果は、頭部は紙などの張り子で、口の部分には魚の歯がはめ込んである。
上半身には骨がまったくなく、木や針金によって作られている。
下半身はシュロ(ヤシ科の常緑高木) の表面に鯉のような魚の鱗とひれがはり付けてある。

 

これら人魚のミイラをはじめ、江戸時代から明治にかけて見世物小屋ではカッパのミイラなど日常では見られないものが客寄せの1つになっていた。

江戸時代には、このようなミイラが多く作られた。
見せ物小屋などで展示のほか、欧米人向けの土産として売られていたという。

現在、海外の博物館に眠っているものも少なくないという。