2015.3
File number027

 

 


1937年(昭和12年)2月4日、外務省に「日本・東京・日本領事館」という宛名書きの手紙が届きました。

差出人はアメリカ探偵か、秘密情報員。
アメリカ・コネティカット州サウシントン局の消印がありました

さて、その怪しい手紙の中身は、「海賊キャプテン・キッドが1700年ごろに描き残した地図は、日本の南西諸島のどこかの島と思われる。
ここには、1億ドル以上の金貨・宝石類が隠されているので、日本政府で探されたらいかが??。
もし成功したら応分の謝礼をいただく」
というもので、 前年秋発行の「MODERN MECHANIX」という雑誌に掲載された島の地図の複写が入っていました。

いち早く新聞記者がかぎつけ、翌日の各紙がこれを大々的に報道されました。
新聞には、「宝島」という見出しはあるものの、それがトカラ列島の宝島であるとは書かれてなく、誰かが宝島に似ていることに気がつき、うわさが次第に広まりました。

↑昭和12年2月5日の新聞/左、東京日日新聞(現・毎日) 右、読売新聞

しかし、日中戦争勃発、軍国主義的統制が加速する中、誰も宝探しに行く人はいませんでした。

終戦の翌年には沖縄からヘリコプターで海賊キッドの宝探しにアメリカ人がやって来たが、手がかりもなく2日であきらめて帰って行ったといいます。

2006年8月、24時間テレビ「愛は地球を救う」で海賊キッドの宝探しを生中継。地図に基づき綿密な調査、発掘を朝から夕方まで続けましたが、宝らしいものは何も見つからないまま終ってしまいました。

イマキラ岳

■宝島と酷似する宝の地図

鹿児島県鹿児島郡十島村大字宝島。
島の中央を南北に走る山脈、東海岸に発達したサンゴ礁 、砂丘、ビロウの群生地、西海岸にあるサンゴ礁の浅い海など地形がキッドの残した地図と一致するのです。
酷似していますがキッドの地図には、島の名前は書かれていません。

地図の左上にある矢印は何を意味するのでしょうか?
キットが島に上陸した場所なのでしょうか?
地図中にある“Death Valley“の位置には、沢があります

地図の左上にある、
18NE: by 71W: on Rock
26ENE: by 18SW: Palm
は宝までの方角と距離なのでしょうか?
そして、7 feet by 7 feet by 8の意味は?

キッドが海賊行為を働いていたのは、1697年から1699年頃でこの短い期間に、遠く離れた東シナ海で海賊行為を働く事ができたのでしょうか?

■キャプテン・キッド
ウィリアム・キッドは、1645年スコットランド西部で生まれました。
ニューヨーク州に移住し、その地で結婚して当時横行していた海賊船を取り締まる私掠船(しりゃくせん)の職につきます。
しかし、私掠船としての収入は割に合わず、海賊船を捕らえなければ乗組員に給料を払うことも出来ませんでした。
やがて航海が進むにつれフランス船と海賊船のみの略奪許可しかおりていないのに、海賊船ではない船からでも略奪するようになり、 海賊船を取り締まる私掠船が海賊同然になってしまったのです。

※私掠船とは、国王から免許を受け、敵国の船を攻撃し略奪する権利を認められた船です。

William Kidd

1698年、東インド会社の商船のクェダ・マーチャント号襲い、キッドはおたずね者になりました。
翌1699年、ニューヨークに帰り着くと、その場で拘束され、ストーン刑務所に留置されました。その後イギリスに護送され、1701年5月23日にロンドンで絞首刑になりました。


縛り首の判決を受けたとき、キッドは英国下院議長に「私は10万ポンドの財宝をどこかに隠している。縛り首を免除してくれるなら、その財宝の在りかまで案内しよう」という手紙を書いたと言われています。
この手紙の話が拡散されキッドの隠し財宝伝説が誕生しました。

エドガーアランポーの『黄金虫』、ロバートルイススチーブンソンの『宝島』をはじめ、多くの作家がキャプテンキッドの財宝を題材とした小説を執筆しています。


1936年発行のMODERN MECHANIX