八代将軍徳川吉宗が享保の改革を実施していた頃(1730年頃)に書かれたといわれる、作者不明の「をのこ草子」に享保の頃から250年後、つまり1980年頃からの現代日本の様子が書かれているという。
この内容が現代日本の世相を驚くほど言い当てているため、江戸時代の預言書として最近注目されている・・・・
「をのこ草子」とは何か?
江戸時代に書かれた読み物で、作者が不明で書かれた年代もはっきりしていない。
古神道家の友清歓真が昭和5年に雑誌の切り抜きを見せられ一部を引用していたり、昭和10年には中国学者の石山福治の著書にも書かれていたりと・・戦前まで大衆紙に記載されていたという。
その内容とは?
「今より5代250年を経て、世の様変わり果てなむ。
切支丹の法いよいよ盛んになりて、空を飛ぶ人も現はれ、地をくぐる人も出るべし。
風雲をかりて雷電を益するものもあらむ。死したるを起こす術もあるべし。」
・・・・今から5代の250年後には、世の中も様変わりしているだろう。
キリスト教が盛んになり、空を飛ぶ人も現れ、地中を移動する人もいる。
気象を自由に操り、死んだ人間を蘇生することも可能になる。
「さるままに人の心も漸く悪となりて、恐ろしき世の相を見つべし。
妻は夫に従はず、男は髪長く色白く痩せ細りて、戦の場になぞ立つこと難きにいたらむ。
女は髪短く色赤黒く袖無き着物を着、淫に狂いて父母をも夫をも、その子をも顧みぬ者も多からむ。」
・・・・人の心も悪くなっており、世の中の世相も荒れている状態である。
妻は夫のいうことを聞かず、男は髪の毛を伸ばし、青白くやせ細り、戦場でも役に立たなくなる。
女は髪が短くなり、日焼けし露出の大きい衣類を着て、性的に乱れ両親や夫、自分の子供さえも顧みなくなる。
「よろず南蛮の風を学び、忠孝節義はもとより、仁も義も軽んぜらるべし。」
・・・・欧米の流儀を真似て、忠義や孝行、節度などが無くなり、仁や義という概念も失われている。
「かくていよいよ衰えぬるそのはてに、地水火風空の大いなる災い起こりて、世の人十が五まで亡び異国の軍さへ攻め来るべし。」
・・・・このようにして世の中が衰え、地水火風の大きな災害で、日本人口の半分が死んでしまい、外国から軍隊が攻めてくる。
「この時神のごとき大王いでまい、人民悔い改めてこれに従ひ世の中再び正しきに帰りなむ。
其の間、世の人狂い苦しむこと百年に及ぶべし」
・・・・この時、リーダーが現れ、世の中を救い、人々も悔い改め、世の中は再び正しき方向に戻っていく。
安定した世になるまで、百年間、苦しみが続く。
この予言が偶然にも現代社会と一致している・・・・
原本はどこに・・?
成立は八代将軍吉宗の享保の改革の頃、作者も正式な書物なども存在しないため、「幻の預言書」と言われている。
この「をのこ草子」が知られるようになったのは、神道霊学の研究者・友清歓真(ともきよ よしさね、の著作「神道古義地之巻」(昭和11年発行)である。
友清歓真は「をのこ草子」の原本を手に入れたのではなく、昭和5年当時にある人物より「をのこ草子」が書かれた雑誌の切り抜きを手に入れたという。
「をのこ草子」が登場したのは、昭和初期の「神道古義地之巻」の中に出てきただけなのである!
この世に「をのこ草子」なる原本は存在しないのだ。
神道天行居(古神道系の新宗教団体)の創始者でもある友清歓真のでっち上げ、実物は誰も見たことがない書物の名前という事だ。