2020.9
 

 


この物語が最初に出たのは、2012年に制作されたウクライナのテレビ局「1 + 1」のテレビ番組「Time Travel」というドキュメンタリーだった。

番組には、精神科医のクトリコフ博士、写真家のヴァディム・ポスナー、そしてセルゲイのガールフレンドまでも登場した。

●40分の動画「Time Travel」のURL

Пришельцы. 3. Путешественник во времени https://www.youtube.com/watch?time_continue=193&v=eD3MeAWvx5Y&feature=emb_logo

精神科医パヴェル・クルティコフ博士(Pavel krutikov)

●キエフの交差点に現れた男。

信じられない話だが、1958年の過去から2006年に時間移動したというのは、セルゲイ・ポノマレンコ(Sergey Ponomarenko)だ。
セルゲイ・ポノマレンコの存在を確認する2000年のビデオ映像とモノクロ写真がある。残りは間接的な証拠だが、時間の見方を逆にするには十分であることが証明できる。

2006年4月23日、ウクライナの首都キエフの交差点で旧ソ連時代の服装をし、とまどいの表情を浮かべた30歳以下に見える若い男が今は存在しない通りを探していた。

不審に思った警官のセルゲイ・オノペンコは、彼を警察署に連行した。

セルゲイ・オノペンコ(警官)「彼が警察署で住所について尋ねたとき、彼は「ペシャナヤ通り」の事を言ったと思いますが、私はそのような通りを知りませんでした。地図を確認してもそのような通りはありませんでした。」
「そして、彼は言った『今日は何日ですか?』私は2006年4月23日であることを彼に言いました」・・・

警官オノペンコによると、この男は古風な服装をして非常に場違いに見えた。
彼はFEDカメラを手に持っていたが、今日ではアンティークショップでしか見られない。しかし、カメラは新品のようだった・・・・

FEDカメラ

●警官が最も困惑したのは、コムソモールチケットだった!

警官はそのコムソモールチケットをみて大変驚いた。
それは、ウクライナがソ連から独立した1991年よりもさらに数十年前に発行されたものだったからだ。

名前はセルゲイ・ポノマレンコ(Sergei Ponomarenko)、出聖地キエフ、生年月日1932年と記載されていたが見た目は20代だった。

セルゲイが最後に覚えているのは、1958年4月23日の正午・・・・同じ日付だったが別の年だったとキエフの警察は証言している。

彼は警官に自分の正体を説明したが、警官はその説明を理解できなかった。
セルゲイ・ポノマレンコは精神に問題があるとされ、 キエフの精神科の診療所に連れて行かれ、精神鑑定を受けることになった。

ヘレナ・ミネヴィッチ(看護師)「彼は非常に奇妙な服装をしていて、なぜか上着を脱ぎたくなかったのを覚えています。」
「私が電話をかけた時、携帯電話を見るのが初めてのように私を見ていました。」

●記録;2006年4月23日。

精神鑑定にあたったのは、精神科医のパヴェル・クルティコフ博士 。

P.クルティコフ博士「彼が入って来た時、私は彼に座るように頼みました。」
「彼は不安そうで壁の時計を気にしていました。時計は正確に12:30を示していました」

P.クルティコフ博士「どうですか? すべて大丈夫ですか?あなたは何も話していません・・・私たち共通の何かを見つけないと、私はあなたを助けることは非常に難しいでしょう。」

S.ポノマレンコ「あなたの助けが必要かどうかわかりません。」

P.クルティコフ博士「なぜそう思うのですか?」

S.ポノマレンコ「今日の日付は?」

P.クルティコフ博士「2006年4月23日」

S.ポノマレンコ「最後に覚えているのは、1958年4月23日の正午です。」

P.クルティコフ博士「これは非常に興味深い話です。あなたの立場からすると、あなたは過去から未来に来たという事ですね。」

S.ポノマレンコ「わかりません・・・」

P.クルティコフ博士「お互いをもう少しよく知りましょうか?」

S.ポノマレンコ「私の名前はセルゲイ・ポノマレンコです。私は1932年6月17日にキエフ市で生まれました。」

P.クルティコフ博士「あなたは25〜26歳ですね。」

S.ポノマレンコ「私は25歳です。自分で計算できます」

P.クルティコフ博士「それでいい。・・・・・・そして、あなたが私達の時代にどのように現れたのか覚えていますか。」

S.ポノマレンコ「その日は休みの日で、私はカメラを持って散歩に行くことにしました。家を出て数歩も歩かないうちに、奇妙な物体が空に浮いていました。それは巨大な鐘のように見えましたが、それは何か別のものであり、不思議な飛び方をしていました。」
「私が見たものを説明するのは難しいです。私のカメラのフイルムを現像して見た方がいいです、私が説明するよりも明確な回答が得られるとおもいます。」

セルゲイ・ポノマレンコは部屋の掛け時計が止まっていることに気づき「時間を教えていただけますか?」と言った。
時間は遅れていたが壁の時計と博士の腕時計は12時30分を示していた・・・30分以上も話していたのに・・・そして、セルゲイが部屋を出ると時計は再び動き始めた。

博士は写真開発エキスパートのヴァディム・ポスナー(Vadim Posner)にフイルムの中身を調べるのを手伝ってもらった。

36枚撮りのフィルムは1958年に製造され1970年代に生産中止になった物で、現像には時間がかかった。
一般的なフイルムは2〜3年、冷凍するると20年程度保存できるが、熱や湿気を避け密閉して低温で乾燥した場所に保管しないと、有効期間を伸ばすことはできない。
1958年のフイルムを2006年に現像して、綺麗な写真ができた事実を専門家は説明できなかった。

●記録;2006年4月26日。

現像されたフイルムには、1950年代のキエフの風景、セルゲイの写真に続き20代の素敵な女性。そして、最後の写真にセルゲイの言っていた釣鐘型の奇妙な飛行物体が写っていた。

S.ポノマレンコ「私の時代の家に帰りたいです。」

P.クルティコフ博士「ここに現像された写真があります・・・それらはあなたの写真です。 私はこの写真に特に興味があります、どうぞご覧ください。」

S.ポノマレンコ「私の言った事を信じてもらえましたか?私はこの飛行物体が何なのか、写真を撮った瞬間にどうしてこのようなことが起きたのか、私には理解できていません。」

これらは、セルゲイが診療所での滞在中に記録した最後の言葉になった。博士との対談を終え、セルゲイが部屋に戻るのを監視カメラは記録した。


しばらくして医療スタッフが彼がいなくなったことに気づく、診療所の監視カメラには、その後セルゲイが部屋から出た記録はない。
このシーンの後、ポノマレンコは姿を消したことになる。

●そして彼は消えた!

ヘレナ・ミネヴィッチ(看護師)「彼が姿を消した後、私が彼のベッドで見つけたのは新聞とクルティコフ博士が頼んでいたメモでした。」

セルゲイが残したメモには、彼の住所や生年月日、キエフ市の見習い電気技術者であることが書かれていた。
クルティコフ博士と警察はセルゲイを調査し、ソ連時代にセルゲイ・ポノマレンコが実在していたことを確認た。そして1960年に姿を消したという。

セルゲイ・ポノマレンコがかって住んでいた建物は1980年代に取り壊され、その場所は2006年4月23日、彼をみた場所であった。

セルゲイ・オノペンコ(警官)「彼の公式記録によると、セルゲイ・ポノマレンコは1978年4月23日に行方不明になっています。」
「日付に注意してください、1978年の同月日です、これは単なる偶然でしょうか?。彼はこの時46歳でした、記録によるとFEDカメラを持って家をでて、戻ってこなかったといっています。」

46歳のセルゲイ・ポノマレンコ

●セルゲイ・ポノマレンコは何処に消えたのか・・・

1958年4月23日から2006年4月23日タイムトラベルし、2006年4月25日に元の時代に戻ったとされる。
1978年までの20年間キエフに住んでいたが1978年4月23日、行方不明になった。
彼に何が起こったのかは謎のままである。

UFOリサーチセンターの準会員パーヴェル・グロス(Pavel Gross)「1941年にカナダで撮られた写真と比較したいと思います。
群集の中で40代の目立つ服装をした男性を見ることができます。専門家が写真の信憑性を調べたところ、偽物であることを証明することはできませんでした。」

「1928年に撮影されたチャーリー・チャップリンの「サーカス」の特典として収録されていた、本編に使わなかった映像にもタイムトラベラーが写っています。」
(※とんでファイル010「時間旅行者は実在する?」を参照。

「すでに時間旅行をしている人がいるとしたらどうでしょうか?」
「物理学の大部分が間違っているということを認めなければなりません。」
「たとえば、さまざま時期の多くの教科書では、光の速度は一定の値であると説明されていますが、これは正しくないようです。」
現在、光の速度が変化する可能性があることが証明されています。 つまり、時間の経過も変化する可能性があるという事です。」

キエフの診療所からセルゲイ・ポノマレンコが姿を消した後、精神科医のパヴェル・クルティコフ博士はセルゲイを知っている可能性のある人物を探し出した。
それは1978年4月23日の失踪届を出した女性、ヴァレンチナ・クリチ(Valentina Kulich)。

彼女はセルゲイの写真の女性と同じ女性だった。
1978年に彼が失踪した後、彼は死んだと宣告されたという、セルゲイの事を尋ねたところ、彼女は次のように答えた「彼は生きていて、彼は戻って来るはずです。」

ヴァレンチナ・クリチ(Valentina Kulich)「彼は未来のことをよく話していました。私は彼は将来を見ることができると思っていました。」
「新聞記事を書き始め、ラジオ番組にも参加しました・・・・」

●ウクライナのテレビ番組「1+1」調査チームは、1958年のラジオの録音を見つけた。


「1+1」の調査チームは、国立公文書館にほぼ50年間、保管されているラジオの録音を見つけ出した。
(ラジオ番組からの抜粋/セルゲイ・ポノマレンコ主演)

リスナーの皆さん、こんにちは。今日のゲストは、「school for young technicians」のリーダー、セルゲイ・ポノマレンコです。
彼は私たちに未来の科学の成果を話してくれるでしょう。

セルゲイ・ポノマレンコ「こんにちは。私たちを待っている素晴らし未来について話したいと思います。科学者の助けを借りて、40〜50年後、私たちの生活は劇的に向上します。」
「今、サイエンスフィクションであると考えているものは、完全に現実のものになります。・・・・」

セルゲイは何度かラジオの番組に出演し、電子レンジ、携帯電話、人工心臓などの技術について言及した。

セルゲイ・ポノマレンコ「料理もこれまでになく簡単になります。例えば、ポータブルボックスのような機械を使用してジャガイモをローストすることができます。」
「それをネットワークに接続しタイマーをONにする必要があるます。」

・・・ごめんなさい、何をつけなければならないのですか?

セルゲイ・ポノマレンコ「ああ、悪い。タイマーをかける必要があります。それは時計に似た装置で、適切な適切なタイミングで調理機械をOFFにします。」

この声明が詳細に裏付けられていなかったら、私はこの男を狂気と呼んだでしょう。

ヴァレンチナ・クリチ「電子レンジを始めてみた時、私はセルゲイが言っていたことを思い出しました。彼はずっと前からそれを知っていましたが、今振り返ってみると彼がそのすべてをどのようにして知ったかわかりません。」

2006年の診療所の監視カメラの記録の中に答えはあった。
セルゲイは診療所で待ち時間、診療所のスタッフが使用する電子レンジを注意深く観察していたという。



セルゲイは看護師のヘレナ・ミネヴィッチに電子レンジや携帯電話について多くの質問をした。また、テーブルの上に置かれた雑誌を何度も読んでいた。

精神科医パヴェル・クルティコフ「2年前、ヴァレンチナ・クリチは『セルゲイ・ポノマレンコから、切手も返信先もない手紙を受け取った』と話していました。」

ヴァレンチナ・クリチ「心臓に問題があり、しばらく入院していました。退院して郵便ポストを開けたとき、この手紙を見つけました。」

彼女は白い封筒からセルゲイ・ポノマレンコの写真を取り出した。

精神科医パヴェル・クルティコフ「この写真のは、1978年に姿を消したときと同じ46歳だと思います。」「おそらくこの写真はキエフのドニエブル川で撮影されたのではないかと・・・・」

パーヴェル・グロス「この写真はキエフだと思いますが、まるで未来に撮られた写真のようです。」
「セルゲイの写真と同じ場所から撮った、現在の写真を比べてみてください。」

ヴァレンチナ・クリチはセルゲイの写真の裏に「私はすぐ戻ってきます」と書かれたメッセージをみせた。

Note:Some of the participants' names have been changed due to confidentiality reasons.

2012年にウクライナのテレビ局「1 + 1」のドキュメンタリー番組「Time Travel」は真実なのだろうか?
UFOと遭遇したことでセルゲイはタイムトラベルできるようになったのか?
日本では2017年、exciteニュースをはじめネットで話題になった。

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●次回は、セルゲイ・ポノマレンコ=タイムトラベルを検証!