ピーリー・レイースの地図とは、第一次世界大戦後、トルコのトプカピ宮殿で発見された古地図で1513年にオスマン帝国のピーリー提督が作成した世界地図である。
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ピーリー・レイース(Piri
Reis 1465−1554年)ピリー・レイース、ピリ・レイースとも表記される。
1499年から1502年までオスマン帝国とヴェネツィア共和国の戦争に参加、「船長」を意味するレイースの称号を与えられた。
1516年から1517年にはシリア、エジプト海域に出動し、セリム1世のマムルーク朝征服を援護、1522年にはスレイマン1世のロドス島遠征に参加した。
バルバロス・ハイレッディンが帝国海軍司令官となると、その麾下の提督として活躍する。
1547年、スレイマン1世によって紅海に駐留するインド洋方面艦隊の司令官に任命され、1551年にアデンを征服、アラビア海、ペルシア湾に出動してマスカット、ホルムズ海峡を攻撃し、ポルトガルの進出を牽制した。
しかし、あるときペルシア湾のバスラ沖にポルトガル艦隊が現れたとの報を受け出撃したが、バーレーン近海でガレー船一隻を沈没させたため攻撃を中止しエジプトに帰投したことから戦線放棄の罪に問われ、1554年にスレイマン1世の命によりカイロで処刑された。
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1929年11月9日、トルコの首都イスタンブールにあるトプカピ旧宮殿博物館に収蔵された写本類の中から、ガゼル羊皮紙製に描かれた航海地図の断片が発見された。
1513年作成と記された地図で、右端のほうに引き裂き痕があり、世界地図だったと思われる。
右半分は失われ、現存するのは大西洋を中心に描いた左半分の断片である。
この古地図がトルコ海軍ピーリー・レイースによって描かれたオーパーツ「ピーリー・レイースの地図」だ。
トルコ帝国の全盛期をしのばせる華麗なトプカピ宮殿
1513年に作成されたピーリー・レイースの地図に付された文によると、この地図は1517年にエジプトを征服したセリム1世に献呈され
、総計で33枚の地図を参考にしたという。
ピーリー・レイースが地図を描くにあたって参考にした情報源には、イスカンダル王(紀元前4世紀のアレクサンドロス大王のこと)の時代から伝わるものを含んでいたともいわれる。
8枚はイスラム世界の地理学者のもの、4枚はポルトガルの航海者の作成したもの、1枚はコロンブスの新大陸地図であるといい、残り20枚の詳細は明らかにされていない。
地図は現在もイスタンブールのトプカプ宮殿に保管されているが、平時は一般公開されていない。
●ピーリー・レイースの地図がオーパーツといわれるのは・・・・
地図は正距方位図法が使われ、当時未発見だった南極大陸と思われる海岸線が描かれていた。
エジプトのカイロ上空から見た地球(正距方位図法)
地図には経線、緯線の代わりに円から放射される無数の直線が伸びている。
大西洋のほぼ全域の両岸の地形が正確に描かれている。
地図の右側には、ジブラルタル海峡からアフリカ大陸西岸の一部、左側には南北アメリカ大陸の東海岸線と南アメリカからのびる陸地が描かれている。
南アメリカの南から伸びた陸地はさらに東に伸び、大西洋の南へアフリカ大陸の下に回り込むように地図中に書き込まれている。
この陸地は、地図が描かれた時代よりもかなり後(19世紀)に発見された南極大陸の北岸とも思われる地形が描かれていることから、歴史史料としてよりも、オーパーツとして世界的に有名になった。
地図はトルコ語とラテン語で「余、すなわちトルコ海軍総督ピリ・イブン・ハジ・メメッドは、ギリシャのアレクサンドロス大王の時代から伝わる地図など総計33枚の地図を参考にこれを描いた。回教暦934年6月4日」と書かれていた。
ピーリー・レイースが1513年に複写した今から6000年前の地図(原図)には、氷におおわれる前の南極の海岸線を正確にとどめている!
南極大陸が発見されたのは1818年、全地形が地図化されたのが1920年である。
この地図には1513年当時、南極は未発見で、氷に閉ざされていて当時の技術では観測不能である。
コロンブスがアメリカ大陸に到達したのは1492年で、わずか20年で海岸線の測量調査されたとは思えない。
地形の歪み方や位置が、地図の図法の一種「正距方位図法」を用いて描かれており、地図を作るには、各地点の緯度、経度を正確に計らなくてはならない。
しかし、経度の測定法が確立するのはクロノメーターが発明された18世紀(1707-1800)である。
縦 に並んだ大小5つの放射点は、古代エジプトの町シエネを中心に同一の円周上にのっている。
上から2番目と4番目の放射点は大きく、特別な意味があるようだ。
チヤールズ・ハ プグッド教授はそれらを捜すため学生プロジェクト・チームを組み 5年の歳月を費やした。
まず上から2番目の大放射点は北回帰線の緯度 (23・5度)を表し。
それからすれば、3番目の小放射点は赤道上にあり、4番目の大放射点は南回帰線の緯度を表 している。
ピーリー・レイースの地図は、高所から撮影されたものをもとに作られたのか?。
人工衛星から撮影した写真と一致するほど正確な輪郭が描かれている。
また、ピーリー・レイースが複写した地図の原図も複写されている可能性がある!
南極が氷に閉ざされるまえ、南極北部の地図に起こす技術が存在していたのだろうか??
しかし、ピーリー・レイースの地図は、南極大陸の位置が上すぎるのと、アルゼンチン東側から伸びる海岸線と南極大陸が陸続きなっているのは・・と、疑問が残る。