2022.3
 

 


File number 054

九尾の狐の封印が解かれたのか?

殺生石が割れる!

栃木県那須町那須岳の斜面にある巨大な溶岩で、「九尾の狐」伝説で知られる国指定名勝史跡の「殺生石」が真っ二つに割れた。

3月5日午後、「ツイッターで殺生石が割れている写真が載っている」と観光協会に問い合わせがあった。
協会職員が現地で確認ところ、殺生石が2つに割れていた。
割れた時期や原因は不明だが、石は以前からひびが入り、しみ込んだ水が凍り割れた可能性があるという。

石を囲っていた全長8メートルの縄はほどけて殺生石は刃物で切られたかのように割れ、そばに片割れが転がっている。

妖怪「九尾の狐」伝説


鳥羽上皇に仕える女官の玉藻前は、その美貌と博識から次第に鳥羽上皇に寵愛されるようになった。
やがて、上皇は病に伏せるようになり、朝廷の医師さえも原因が分からなかった。
しかし陰陽師・安倍泰成は玉藻前の仕業と見抜く。
安倍泰成が真言を唱えと、玉藻前は九尾の狐に姿を変え行方を眩ました。
その後、那須野(現在の栃木県那須郡周辺)で婦女子をさらうなどの事件が頻繁におきた。
鳥羽上皇は安部泰成を軍師に任命し、三浦介義明、千葉介常胤、上総介広常を将軍に討伐軍を編成。
討伐軍は徐々に九尾の狐を追い込んだ。
九尾の狐と化した玉藻前は貞信の夢に娘の姿で現れ許しを願った。
貞信はこれを狐が弱っていると読み、最後の攻勢に出た。
そして三浦介が放った二つの矢が脇腹と首筋を貫き、上総介の長刀が斬りつけ九尾の狐を退治すると狐は巨大な毒石に姿を変え、近づく人間や動物の命を奪うようになり、「殺生石」と呼ばれた。
至徳2年(1385年)、会津の元現寺を開いた玄翁和尚によって毒石は打ち砕かれ、そのかけらが全国に飛散したという。

■殺生石
硫化水素、亜硫酸ガスなどの有毒ガスや砒素などの有毒物質を噴出しているため、近づく人や動物などを殺したことから、生き物を殺す石という意味から「殺生石」名がついた。

玄翁和尚によって砕かれた殺生石が飛来したとされる地は、美作国高田(現岡山県真庭市勝山)、越後国高田(現新潟県上越市)、 安芸国高田(現広島県安芸高田市)、豊後国高田(現大分県豊後高田市) 、四国に飛来したものが犬神になり、上野国(現・群馬県)に飛来したものがオサキ(※日本に伝わるキツネの憑き物)になったともいう。