2022.5
 

 


File number 056

石川県

モーゼの墓が日本にあった!!

旧約聖書の「出エジプト記」に登場する預言者モーゼが、シナイ山で神から十戒を授かったシーンやイスラエルの民をひきいてエジプトを脱出する・・と言った話は映画などで有名だ。

●モーゼとは?
紀元前13世紀、エジプトに住むイスラエル人レビ族の夫婦アムラムの妻ヨケベデは男の子を出産した。
当時、エジプトの王は増えすぎたイスラエル人に、脅威を感じ「生まれたばかりのイスラエルの男児はすべてナイル川に投げ込んで殺せ」と命令した。
モーゼの母は我が子を殺すことができず、パピルスのかごに乗せてナイル川に流したが、水浴びに来たエジプトの王女がそれを見つけ、王女の息子としてモーゼは宮廷で育てられた。
モーゼの実母は、乳母として雇われることになり、モーゼに乳を与えることができた。

成長したモーゼは、ヘブライ人がエジプト人に鞭で打たれているのを見て、助けようとしたが誤ってエジプト人を殺してしまった。
モーゼは、シナイ半島の遊牧民ミディアン人の地に逃げ住んだ。
ツィポラという羊飼いの娘と結婚し平和に暮らしていたが、ある日「燃える柴」のなかから神に語り掛けられ、イスラエル人を「約束の地」に(聖書中では「乳と蜜の流れる地」と言われている現在のパレスチナ周辺)へと導く使命を受ける。

エジプトから脱出したモーセは、イスラエルの民とともに40年にわたって荒野をさまよい「約束の地」を目前にして死海の東岸のネボ山で120歳で世を去ったという。
モーセ亡き後は、後継者のヨシュアが人々を導いた。

※詳しくは旧約聖書の『出エジプト記』、『申命記』、『ヨシュア記』。

サン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ教会 モーゼ像(ミケランジェロ作)

■なんと、モーゼの墓が日本にあるという!!

日本の考古学、歴史学の女性ジャーナリスト、社会活動家の山根キク(本名は山根 菊子1893-1965)は、著作「光りは東方より」で583歳で死んだモーゼは宝達山の三ツ塚に葬られた・・・という竹内文書をもとに石川県押水町の通称・三ツ子塚をモーゼの墓であると主張した。

※「光りは東方より」昭和12年発行。
2005年に押水町と志雄町が合併して、現在は宝達志水町。

このモーゼの墓と言われる三ツ子塚の場所は、石川県羽咋郡宝達志水町河原ロ130-2番地
料金/入園時間/休業日 :無料/-/年中無休
金沢から車で30分(国道159号河原交差点より車で2分)。
金沢からJR七尾線の宝達駅下車(40分)、さらに徒歩1.7km(22分)。

■伝説の森・モーゼパーク

案内板によると右上の3つの山が「三ツ子塚古墳」で、モーゼの墓は2号墳。

ポケットガーデン・・・この柱は何??

三ツ子塚古墳への山道。

ミステリーヤード、この上に三ツ子塚古墳がある。


●なぜモーゼの墓と云われるのか?

謎の究明-1
謎の解明の一つには古文献「竹内文書」がある。
それは富山県の竹内家が代々守ってきた古文書である。
古文書には、モーゼはシナイ山に登った後、天浮船に乗り、能登宝達に着き、「十戒」を授かり三ツ子塚に葬られていると記されている。

謎の究明-2
考古学者の山根きく著「光は東方より」の中にも紹介されている。
モーゼは当時の天皇に拝し、十戒法を開くため宝達山麓に住居し、天皇の娘大室姫と結婚した。
その後シナイ山に数度訪れ、十戒法の政治を開いた。
この著書が広く紹介され、多くの観光客や興味のある人々が訪れるようになった。

・・・と 案内板に書かれている。

2号墳の上に立てられているモーセの墓。

戦後、モーセの墓を調べるためアメリカ軍の兵士がこの地を訪れ、地元の人たちにアルバイト料を払い発掘したという事実がある(出てきたのは、錆びた鉄器類などで、人骨は出なかった)。

※2022年9月現在、テレビ取材でモーゼの墓に何もないと言われて、墓をさざれ石にリニューアルしたとの事。

■モーゼの墓の謎を解くカギは「竹内文書」にあった!


竹内文書によると・・・・・・
不合朝(フキアエズ)第六十九代神足別豊耡天皇(カンタラワケトヨスキノスメラミコト)の即位二百年イヤヨ月圓六日(西暦紀元前1425年3月16日)に、モーゼは船に乗り、越根能登の宝達水門に着いた。
皇祖皇太神宮へ参拝し、続いて天皇の御所に参拝した。
天皇から能登の宝達山に居住するように命じられ、12年間その場所に滞在することになる。
日本の国風に触れ、日本の生活様式を学び、また皇女の大室姫と結婚し、三人の御子が誕生した。

その後、天空浮船でイタリアのボローニャ経由でシナイ山にもどり、十戒を広めた。
モーゼは再び来日、583歳という長寿を全うして、最期は宝達山のふもとにある三ツ子塚に葬られた。
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押水町商工会は、三ツ子塚がモーゼの墓であるとした唯一の根拠、山根キクの「光りは東方より」の主張を町おこしに利用して1989年に「モーゼクラブ」を設立。
観光資源のない押水町は宝達山の三ツ子塚古墳群を整備し、1993年に「伝説の森・モーゼパーク」をオープンした。

3つの墳墓が並んだ三ツ子塚は、真ん中の一番大きな墳墓がモーゼの墓とされ、残りの2つの墳墓は、妻である皇女と孫のものであるとされている。

※竹内文書は、古代の文書を装ったとされる偽書。
神代文字で記された文書と、それを武烈天皇の勅命により武内宿禰の孫の平群真鳥が漢字とカタカナ交じり文に訳したとする写本群と、文字の刻まれた石、鉄剣など、一連の総称。
天津教の聖典とされる。
原本が存在する立場からは、後述の裁判に提出されたのちに焼失したと主張される。
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