2024.3
 

 

File number 076
存在しない国から来た男


それは日本で起こった出来事で、海外でも "Man from Taured" という有名な話です。

1954年7月、羽田空港に一人の白人男性が降り立ちました。
しかし、入国審査官が入国を拒否したのです。

彼は「トレド」と言う存在しない国のパスポートを持っていたのです。

■謎の男:パラレルワールドからの訪問者

彼の名前はジェナンスファー・バーホドリック。
1988年9月11日生まれの65歳。

この時。彼が降りた羽田空港は1954年。
パスポートに記載されていた彼の生年月日は、1988年。
当時65歳の彼は、2053年の未来から来たということになるのです。

■入国審査

トレドという存在しない国が発行したパスポートを持った白人男性は、入国審査官に入国を拒否されました。

彼は何度かビジネスで日本に来ていて、数か国語を話し、日本語にも堪能でした。

入国審査官は、世界中のどこにもトレド国を見つける事ができませんでした。

審査官「その国はどこにあるのですか?」
世界地図を出し、トレドと言う国が何処に有るのか、男性に指し示すよう促しました。

男性は世界地図にトレド国が載っていない事に驚いていました。

男性「それは…この辺りのはずだ」
スペインとフランスの間、現在のアンドラ公国という位置を指さしました。

入国審査官「何のために日本に来たのですか?

男性「私は… 私は欧州のトレド国から来たビジネスマンであり、国際的な企業の社員だ。
10年に渡り日本と貿易を交わしていて 今年だけでも3回目の日本出張です。」

たしかに、何度かビジネスの為に日本に来ていて、パスポートには日本の入国スタンプが押されていました。

男性「宿泊先のホテルは予約してあるし、商談先の会社とも約束がある。」

調べても彼が務めているはずの企業は確認できず、予約済みのホテルも彼が日本で会う予定の相手企業も存在しませんでした。

彼はパスポートの他に、ヨーロッパの数か国の硬貨・運転免許証・小切手・日本滞在中の都内のホテルの予約証を持っていました。

■ 翌日、謎の失踪

入国審査は8時間も続き、彼が非常に疲れた事もあって 羽田空港に近いホテルに移動する事になります。

彼は2名の管理官達と共に用意されたホテルに向かい レストランで食事をした後 ドア外に警備員を配置し、部屋で過ごす事になりました。

2名の警備員は部屋のドア外で、一晩中目を離す事はなかったといいます。

しかし、翌朝ノックをしても返事が無い為、合鍵で部屋の中へ入ると男性の姿はなく、持っていた大きな荷物も跡形もなく消えていました。

部屋はホテルの15階、窓には中から鍵がかかっていて外に出たとは考えられない状況でした。

消えたのは彼だけではありませんでした。同時刻、羽田空港にも不思議な事が起こっていたのでした。

彼を取り調べた記録の多くが、厳重に保管してあったトレド国発行のパスポートや運転免許証までもが消え失せていたのです。

と言うお話が、今では都市伝説化した「存在しない国から来た男」です。
海外では「Man from Taured」という名前で知られています。
※日本で言うトレドは海外ではTauredといわれています。

男は本当に異世界から来たのでしょうか?
それとも、巧妙な詐欺師だったのでしょうか?

■この都市伝説には、元ネタになるような事件が日本で、実際にあったのです。

それでは、戦後の日本社会を震撼させた巧妙な詐欺師、ジョン・アレン・K・ジーグラスについてお話します。

彼は、「ミステリー・マン」と呼ばれ、アメリカ陸軍将校、外交官、医師など様々な経歴をいつわり、その手口は多くの人の関心を呼びました。

1959年10月24日、韓国人の妻を伴い偽造パスポートでジョン・アレン・K・ジーグラスと名乗る男性が日本へ入国しました。

翌年1月、彼は偽造小切手による詐欺罪の容疑で逮捕されました。

チェース・マンハッタン銀行東京支店から偽造小切手で約20万円、トラベラーズ・チェックで140米ドル(当時の邦貨換算5万400円)を、韓国銀行東京支店から10万円、合計約35万円を詐取したとして、チェース・マンハッタン銀行東京支店から告訴されていました。

逮捕後、ジーグラスは自らを「ネグシ・ハベシ国の移動大使で、アメリカの諜報機関員だ」「外交特権の侵害だから、すぐに釈放しろ」と主張したと言います。

実在しないネグシ・ハベシ国の場所を問われると地図でエチオピアのちょっと南のあたりを指さし、アラビア文字に似た解読不能な「ネグシ・ハベシ語で書いてある」と本人が主張する、週刊誌サイズほどもある巨大なパスポートを提示しました。

パスポートの資格を証明する欄には「ネグシ・ハベシ国国連代表部・特命全権大使で、1か国に駐在しないで各国を歴訪して歩く移動大使」と書いてあると本人が話したそうです。

パスポートを照会した結果、どこの国が発行した外交旅券でもなく、本人の偽造と判明しました。

1959年にパスポートにビザを発行した、台北の日本大使館は、「国際民間航空機関のリング局長から推薦状があったので信用した」と述べています。

1960年8月10日、午前10時過ぎ。
東京地方裁判所で判決公判が開かれました。

その結果、懲役1年の判決が下った際、ジーグラスは口の中に隠していたガラスの破片で、両腕の血管を切り自殺を図ったのです。
しかし未遂に終わり、全治10日の軽傷で済みました。

1961年の控訴審では、同年12月22日、懲役1年の判決を受けても、彼は刑期を上回る拘置日数のため結局一日も服役する必要がなく、ジーグラスは「国外退去処分」になりました。

どこに送還すべきかは分からず、日本に入国した時の最終寄港地の香港に送還されました。

この事件は英語圏のメディアでも取り上げられ、「ミステリー・マン」として報じられました。

このジーグラスの事件に尾ひれがついて
「存在しない国から来た男」の物語が出来上がったのでしょうか?

または、私たちの住む隣の世界パラレルワールドから
迷い込んでしまったのでしょうか?