日本は世界有数の自動車生産国として知られているが、その歴史には多くの挑戦と変化があった。 ■ホープ自動車 ホープ自動車は1950年代から1960年代にかけてオート三輪を製造販売していた会社で、当時の日本では農業用や商用などでオート三輪は広く使われていた。 ホープ自動車が作った最も有名な車は、ホープスター・ON型4WDという四輪駆動の軽自動車で、1967年から1968年まで発売され、スズキジムニーの原型になった。
■愛知機械工業 愛知機械工業は現在(2023)は日産の完全子会社となっている会社で、前身は愛知航空機株式会社という会社で、零戦などを製造していた。 コニー・グッピーは日本初のFRP(繊維強化プラスチック)製ボディ採用乗用四駆式四速変速機付き四気筒エンジン搭乗可能型式名「コニ」(通称「グッピー号」)。
■富士自動車 1948年から1973年にかけて活動していたが、3輪の小型軽自動車フジキャビンを販売していたが商業的には成功せず、事業撤退までの2年間にわずか85台しか生産しなかった。 その後1961年、卵形のユニークなデザインで2サイクル水平対向二気筒356ccエンジンを搭載したキャブオーバータイプの軽四輪車、ガスデンミニバンを開発したが、生産には至らず自動車業界から撤退した。 ■プリンス自動車工業 プリンス自動車工業は1947年に創立され、1966年に事実上日産自動車にに吸収合併された。 1951年 たま自動車に社名変更。 初代プリンス・スカイラインは1957年にデビューし、日本初の量産型4気筒DOHCエンジンを搭載したモデルであり、グロリアは日本初のV型8気筒エンジンを搭載したモデルだった。 プリンス自動車工業は技術力やデザイン力に優れていたが、規模や資金力では日産やトヨタに劣っていた。 ■ダットサン自動車工業 1932年に、DATSONの“SON”が日本語の“損”に聞こえ縁起が悪いということから、英語で同音のSUN(太陽)に変え、DATSUN(ダットサン)と改称した。 1958年には日産自動車の傘下に入り、その後もダットサンブランドで車両を販売し続けた。 ■日本オートサンダル自動車 1952年から1954年のわずか2年間しか活動していなかった自動車メーカー。 これらの自動車メーカーは、当時の日本の自動車産業の発展に貢献したものの、競合する大手メーカーに対抗できず、あるいは経営不振に陥り撤退せざるを得なくなった。 |