オーパーツ(Out of Place Artifact)とは、古代の文明が作り出したとは考えにくい、時代や文化に合わない技術や物品を指す言葉です。
オーパーツは、しばしば未知の高度な文明の存在を示唆するものとして注目されますが、科学的な調査によって自然現象や誤認が原因であることが判明することもあります。
それでも、未解決のオーパーツも多く存在し、研究者やアマチュアの研究者たちは、これらの現象を解明しようと努力しています。
■アンティキティラ島の機械
1901年、アンティキティラ島近海の沈没船から回収されました。
古代ギリシア時代、紀元前200年〜紀元前60年頃にギリシャで製作されたと考えられる遺物で、天体運行を計算するため作られた歯車式機械であると推定されています。
青銅製の歯車が複雑に組み合わさっており、手動で操作することで、太陽や月、惑星の位置や食、オリンピックなどの祭典の日程などを予測することができたと考えられています。
■ピリ・レイスの地図
1513年にオスマントルコの提督ピリ・レイスが製作した地図には、氷に覆われる前の南極大陸の海岸線が描かれていました。
詳しくは、とんでもファイル File
number 047/ピーリー・レイースの地図を参照。
■ロシアの3億年前の機械の部品
ウラジオストクに住む男性が、暖房に使う石炭の中から機械の部品のようなものを発見しました。
専門家による鑑定の結果は、ほぼ純粋なアルミ(アルミ98%、マグネシウム2%)で、自然にできたものではなく加工生成された人工物であることはまず間違いないと判明したという。
また3億年前の石炭層ものであることが明らかになりました。
■ウィリアムズ・エニグマリス
1998年、ハイカーのジョン・J・ウィリアムズは土の中から妙な金属が突き出ていることに気づき、 それを掘り起こしてみると、謎の電気パーツが内蔵された石でした。
この石は明らかに人工的で、組み込まれた電気パーツは電気のコンセントにも似ていました。
電気パーツは接着されたわけでも溶接されたわけでもなく、パーツの周囲に岩が形成されたようでした。
その後、この石はUFO愛好家たちの間で有名になり、ミステリー系雑誌にも取り上げられました。
ジョン・J・ウィリアムズはこれを分解することを拒んでいます。
彼はこの石を5000万円で売ると話しており、でっち上げという説もあります。
■黄金スペースシャトル
コロンビアのシヌー地方の古代遺跡から発掘された、飛行機や宇宙往還機を思わせる黄金細工です。
当初は鳥や昆虫を模した装飾品と考えられていましたが、動物学者のアイヴァン・サンダーソン博士が鑑定し、これは飛行機をモデルにしたものであるという仮説を提唱しました。
その後、航空力学の専門家による鑑定を経て、1969年には『Argosy』誌に「古代南米には飛行機を持った文明が存在した」という記事が発表されました。
1996年には、ドイツのラグンド・エーンホーム博士とペーター・ベルティング空軍士官が黄金ジェットの忠実な模型をつくって実際に飛ばし、黄金ジェットが古代の飛行機をモデルにしたものであることが実証されました。
■クリスタルスカル(水晶髑髏)
クリスタルスカルは、中南米の古代文明の遺物として発見された水晶製の頭蓋骨の形をした人工物であり、現代の技術では作ることができないとされ、神秘的な現象を引き起こすとも言われています。
実際にはクリスタルスカルの多くが19世紀末に作られたものであることが判明しており、道具による加工痕や複数のパーツをつなげた繋ぎ目が見つかっています。
また、所有者たちの主張には一貫性がなく、信憑性に欠ける噂まで存在しているため、クリスタルスカルが本当に神秘的な能力を持っているかどうかは不明です。
■コソの点火プラグ
1961年にコソ山脈で発掘された古代の点火プラグが、「コソの点火プラグ」として世界的に有名になりました。
このプラグを覆っていた石化した土壌の年代調査により、約50万年前のものであることが判明したとされています。
しかし、2000年には点火プラグコレクターたちによるX線検査で、「1920年代にアメリカのチャンピオン社で製造された点火プラグ」という結果が出ています。
主張された50万年前の土壌に覆われていたという事実は、発見者の一人によって言及されただけであり、鑑定を行った地質学者が誰であるかは不明です。
現在、コソの点火プラグは行方不明で写真のみが残っています。
■カブレラ・ストーン
1961年に南米ペルーのイカ川で発見されたカブレラ・ストーンは、表面に恐竜と思われる姿が彫られていて、人間と恐竜が共存していたことを示唆しています。
カブレラ・ストーンは、現地の医師ハビエル・カブレラが所有していることから、彼の名前がつけられました。
彼は1966年に42歳の誕生日に石をもらったことがきっかけで、その後、農夫から多くの石を買い取りました。
農夫はイカ川が氾濫した際に現れた洞窟で石を発見したと主張しましたが、ペルー政府は文化財を販売した罪で彼を逮捕しました。
しかし、農夫は証言を撤回し「歯科用のドリルを使って自分が彫った」と言い出し、論争に終止符が打たれました。
しかし、カブレラ・ストーンの数は1万5000点以上あるとされますが、1人で作ることができるだろうか?また、共同墓地からもカブレラ・ストーンに似た石が発掘されています。